マートン・ケケシ(Marton Kekesi)選手はアルペンスキー五輪代表のイケメン|日本で暮らしていた幼少時代と意外な素顔

マートン・ケケシ(Marton Kekesi )選手はアルペンスキー五輪代表のイケメン|日本で暮らしていた幼少時代と意外な素顔オリンピック選手

イケメンプレーヤーとして話題のマートン・ケケシ(Marton Kekesi )選手。

ハンガリー代表のアルペンスキー競技のオリンピック選手です。

マートン ケケシ選手が日本と関わりがあることはあまり知られていません。今回はマートン選手のプロフィールと日本との繋がりを紹介します。

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マートン ケケシ選手のプロフィール

氏名Kékesi Márton(マートン・ケケシ)
性別
国籍ハンガリー
生年月日1995年12月19日
出身地ミシュコルツ(ハンガリー)
出身校Testnevelési Egyetem
趣味ウィンドサーフィン、テニス、スノーボード

アルペンスキーのコーチとしてとても優秀だったマートン選手のお父様。マートン選手がスキーを始めるきっかけもお父様でした。

左側が幼い頃のケケシ少年。

まだわずか3歳だったマートン選手でしたが、お父様は最初から彼を本物のスキー選手のように扱ったそうです。

子供たちにスキーを教える本格的なレースチーム(the Bankut Ski Racing Team)を創設したり、マートン選手のパーソナルコーチとして長年尽力していたようです。

しかしお父様の本業は大学教授。現在はミシュコルツ大学の教授をされています。しかもChemical metallurgyという化学分野専門。

右側がお母様(Andreaさん)、左側がお父様(Tamásさん)。素敵な家族ですよね。お父様優しそう。

現在でもお父様はマートン選手にとって1番の理解者であり、相談者のようです。

なにか問題が起きた時には一緒に問題を分析したり、電話ではなしあったり、時には一緒にスキーをすることで解決している、とマートン選手は語っています。

親子であり、師弟であり、友達のようなマートン選手とお父様。とても素敵な関係ですよね。

マートン ケケシ選手と日本|仙台に住んでいた幼少時代

マートン選手、幼稚園時代 日本に住んでいたことがあるそう。1998年〜と海外インタビューで語っているので、マートン選手が3歳の頃からですよね。

日本にいた理由や日本での生活についてマートン選手自身は多くは語っていませんが、まだ3歳であれば記憶があまりないのかもしれませんね。

実はマートン選手のお父様のトーマス ケケシ(Tamás Thomas Kékesi)さんは東北大学で客員研究員だったのです。

1991年10月から3年3ヶ月の間ポスドクとして、1999年3月からは2年ほど客員研究員として東北大学で働いていまそた。

結婚し、マートン選手が産まれた頃はハンガリーに戻りミシュコルツ大学の教授をしています。

東北大学
画像出典:東北大学公式FB

1999年に日本に戻ってきた時にはマートン選手が産まれていたようですね。

マートン選手は日本での暮らしについて『毎週スキーをしていたこと』『自分の周りにはスポーツに真摯に取組む日本人選手が多くいいた』と発言しています。

マートン選手が本格的にスキーを始めたのは日本にいた時だったそうです。雪国の仙台がマートン選手のスキー人生の始まりだったなんて、親近感わきますよね。

マートン ケケシ選手の夢は体育の先生!

マートン選手、ブダペストの大学では体育(Physical Education)について学んでいました。

体育の教師になるために大学で勉強していたのですが、プロのスキーコーコーチになることも彼の夢の一つ。人に教えることに魅力を感じているマートン選手。

とにかく『スポーツ』が大好きで、ウィンドサーフィンとテニス、たまにスノーボードも楽しむそう。『体育』の教師が夢だったなんて意外な一面です。

お父様の背中を見続けていたからこそ、誰かに自分の経験や知識を与える素晴らしさを知っているマートン選手。きっと素晴らしい教師やコーチになりそうです。

北京冬季オリンピックではアルペンスキーのハンガリー代表として出場。

マートン選手の今後の活躍が楽しみですね!

本日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

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