アスリートにとってオリンピック出場は一つの夢でもあり、目標でもあります。
自身がこれまで積み上げてきたものを出し切り、自国代表として他国の選手とたたかう国際試合で良い結果を残す。素晴らしいですよね。
ただピタ・タウファトファ選手は『自身の記録で有名になることが夢ではなく、名が知られることで叶えたい夢』を持っています。
他のアスリートとは異なる魅力をもつピタ選手の壮絶な選手人生と意外な素顔に迫ってみましたのでご紹介します。
ピタ・タウファトファ選手がオリンピックに開会式で裸で入場した本当の理由
ピタ選手が初出場した2016年のリオデジャネイロオリンピック。この時トンガはそこまで有名ではない島国でした。
その『トンガ』を話題にさせたのがピタ選手の格好。鍛え上げられた筋肉にテカテカと輝くココナッツオイルを塗り、大きな旗を振って入場。
『Tonga’s shirtless Olympic flag bearer.(トンガ王国の上半身裸のオリンピック旗手)』
全世界の観客がピタ選手の格好に釘付けでした。
実はピタ選手にはこのように入場するしかなかったのです。
リオデジャネイロ五輪に出場時、ピタ選手にはマネジメントしてくれる人も、スポンサーも、お金も、物資も何もなかったのです。
そこにはただピタ選手とコーチのポール氏だけでした。
初めてのことだったのでマネージャーも広報担当者もエージェントの存在すら知らなかった2人。
結果、ピタ選手は自国を代表としてトンガ王国の伝統衣装で入場。他国の選手団がスーツで入場する中、大注目を浴びたのです。
ピタ選手の選手人生は壮絶です。
ピタ・タウファトファ(Pita Nikolas Taufatofua)選手のプロフィール
氏名 | Pita Nikolas Taufatofua(ピタ・タウファトファ) |
性別 | 男 |
国籍 | トンガ |
生年月日 | 1983年11月5日 |
身長 | 192cm |
体重 | 100kg |
出身地 | オーストラリア ブリズベン |
競技 | テコンドー、クロスカントリースキー、カヌー |
オーストラリア生まれ、トンガ育ちのピタ・タウファトファ選手。トンガ人の父とオーストラリア人の母を持つハーフ。ピタ選手には6人の兄弟がいます。
ピタ選手のお母様は看護師であり、農学の博士号を取得しているお父様は政府の研究に従事していました。
ピタ選手の両親は子どもたちの教育にお金を注いでいたので生活は豊かではなかったそうです。しかし そのおかげでピタ選手の兄弟はいずれも優秀。
トンガでは身体が小さい方だったというピタ選手の幼少期。彼の母は自己防衛を身に着けさせるために『テコンドー』を習わせたそうです。
ピタ選手がオリンピック選手を意識し始めたきかっけ
ピタ選手が12歳の時、Paea Wolfgramm選手を応援する人々を見たことが転機となります。
Paea Wolfgramm選手はトンガに初めて五輪のメダルをもたらした選手です。
この写真に写る目鼻立ちのきれいな少年こそ 12歳の時のピタ少年。今のピタ選手からは想像できないほっそりとした身体です。
『I am going to the Olympics.』
それ以来、ピタ選手はオリンピック選手になるために彼の全ての時間を労働と学業とトレーニングにささげ続けました。
トンガ代表としてオリンピックに出場するためにはオセアニアで1番になるのが条件だったのです。
怪我、敗戦続きでもオリンピック予選会に挑み続けるピタ選手
2008年のニューカレドニアの予選会では足首を捻挫し、骨折。しかし それでも怪我を押して戦い続けたピタ選手。
この時の五輪出場は叶わず、その後6ヶ月もの間車椅子生活をおくります。
アスリートのための特別な機関や制度はもちろん、オリンピックのための政府資金もなかったトンガ王国。
韓国にテコンドーのトレーニングに行った際は寝泊まりするための資金がなかったので、教会にある幼稚園の床で6ヶ月間寝かせてもらっていたそうです。
オリンピック予選のアゼルバイジャンで開催された世界選手権では膝の靭帯を損傷しながらも片足で戦い続けました。
負傷しながらも戦い続けるピタ選手の姿に医師だけでなく、多くの人が『自分を罰するのを止めなさい』と苦言するほど。
ピタ選手の問題は競技経験や練習環境だけではありませんでした。
2016年リオデジャネイロ五輪の予選会がパプアニューギニアであった際に直面したのは資金不足問題。
その時はギリギリでコーチの知り合いからの資金提供を受けることが出来、無事予選会前日に会場入り。そして見事に初めての五輪出場権を獲得したのです。
ピタ・タウファトファ選手の人生を変えた初出場の五輪開会式
各国の選手団がスーツで入場する中、テカテカと筋肉を輝かせて入場するピタ選手。
無名の島が1週間で2億超えの検索ワードに!|2016年リオデジャネイロ五輪
SNSはピタ選手に一気に湧きました。海外では『Twitter was melting down.』と報道されるほど。
テコンドー競技で五輪出場を果たしたピタ選手でしたが、1戦目で即敗退。しかし、彼にとって自身の勝利は特に問題ではありませんでした。
ピタ選手の試合の週、『Where is Tonga?』というグーグル検索が2億3000万件もあったそうです。(Google trends統計結果)
彼の夢が叶った瞬間でした。
2018年開催の平昌オリンピック出場を目指すと決意した時、ピタ選手はほとんど雪を見たことがなかったそうです。
雪を知らないピタ選手がクロスカントリースキー競技に|2018年平昌冬季五輪
ピタ選手はユーチューブをみてクロスカントリースキーを学び、ローラースキーを履いて公園でトレーニングをします。
実際の練習動画。ただただ凄い、、、としか感想が出てきません。
オリンピックに出場する資格を得るため、予選会巡りの日々。しかも世界選手権のメダリストなどがいない試合を探して出向かないといけないピタ選手。
8週間で15カ国ほど訪れたそう。
不慣れな雪上での試合で予選落ちが続き、残っている予選会には資金不足で飛行機に乗れずに間に合わなかったこともあるそうです。
それでも諦めすに予選会を探し、時には自らレンタカーを借り3日間運転しつづけ会場に向かったというピタ選手。
実際の運転時の動画です。雪を見たことすら ほとんどなかったピタ選手なので、吹雪の中の運転は相当大変だったはず。
諦めない想いは必ず実を結ぶことを体現していて本当に素晴らしいです。
アイスランドの北極圏のフィヨルドで行われた予選会でなんとか出場権を得たピタ選手は見事 平昌冬季五輪にもトンガを代表することになります。
『有名になることがゴールではない』と語るピタ選手、『有名になることで出来る他のことがある』と続けます。
平昌冬季五輪開会式でも極寒の中『トンガ代表』として再び世界中を魅了し、名声を得たピタ選手。
その後メディア露出や国連総会でのスピーチなどオリンピックとは違うところでも活躍します。
ピタ・タウファトファ選手は大学工学部出身の礼儀正しい紳士という素顔
実はピタ選手、クイーンズランド大学で工学系の学位を取得しています。インタビュー記事では『とても礼儀正しく、洗練された言葉づかいをする、教養ある青年』と紹介されることも。
オリンピックで注目されたワイルドな姿からは真逆ですが、これこそが彼の本来の姿。
オーストラリアのブリスベンユースサービスで15年間ホームレスの子供たちのために働いたこともあるクリスチャンのピタ選手。
彼の素晴らしい言葉にこのようなものがあります。
『Everything negative in my life has been fuel for me.』
ピタ・タウファトファ選手
彼は人生においてネガティブなものをすべて自分にとっての起爆剤に変えて立ち向かっていきます。
ピタ選手にとって3度目のオリンピックは私達の国で開催された東京五輪。トンガ代表として入場したピタ選手の姿を覚えている方も多いのではないでしょうか。
どんな困難も自分の力に変えてきたピタ選手。
2022年1月に起きたトンガでの大規模噴火。ピタ選手は 北京五輪出場をあきらめました。
今 自分にするべきこと、できることは別にあると感じているのでしょう。
北京五輪でピタ選手の意志を引き継ぎ、マイナス4度の中 裸で入場したのは、米領サモア代表のスケルトン選手ネイサン・クランプトン(Nathan Crumpton)選手でした。素晴らしい肉体美!
次の五輪ではピタ選手も再び伝統衣装をまとってくれるのを楽しみにしてます。
【トンガ王国への寄付情報】
2022年1月15日にトンガ王国で起きた火山の大規模噴火と津波で被災した方への募金はユニセフの公式サイトで詳細を確認してください。